京都国立博物館 「雛祭りと人形」に行ってみた
女子力の高い母の影響があるのかは知らないけれど、僕は男のくせに雛祭りという行事が好きです。
なにが好きなんだろうと考えてみたけど、
たぶん、年中行事で家に大掛かりな人形を飾ること自体が、日常とかけ離れた空間を家にもたらしているからかもしれない。
そんなこんなで京都に移住し3年が経った今、文化財の豊富な京都という都市での雛祭りはどんなものがあるのか気になったので、行ってみました。
≪雛人形の種類と歴史≫
雛人形は、もともと江戸時代の寛永年間(1624年~1643年)くらいから始まった行事で、川に人形の形代を流す神社の行事(流し雛)という儀式と、3月3日頃に公家の女子が行っていた「雛遊び」というものと結びついて広まった行事らしいです。
(雛祭りの起源となった行事「上巳の節句」の人形。中に男女の形代が入っている。)
雛祭りの歴史の中で、人形の形態もいろいろと異なっているようで、
十二単のような豪華な服装を着ているものもあれば、簡素で家の柱に打ち付ける雛人形もあるみたいです。
雛人形の種類はだいたい7つあり、
①寛永雛(かんえいびな)
・江戸時代初の寛永年間(1624~1643)の人形。高さは約10cmで坐雛(すわりびな)の初期の例の一つで、女雛は両手を開いて手足がなく、小袖を袴に着込んでいる。
②立ち雛(たちびな)
・起源となった神社の祭礼行事で使われた経緯があり、それを発展させて雛祭りの
人形の一つとなったもの。自立できない人形で、飾ることを目的としないことから初期の形式を伝える雛人形の一つと考えられている。
③古式享保雛・元禄雛(こしききょうほうびな・げんろくびな)
・寛永雛よりもやや大きめの雛人形。女雛に特徴があり、手足がついていて服装も十二単風の襲(かさね)装束になっている。
④古今雛(こきんびな)
・江戸時代の安永年間(1772~1781)から作られ始めた人形。
人形師の二代目原舟月が完成させた、現在の雛人形の原型。
江戸での雛人形ブームを受けて京都で製作されたもので、実際の公家の装束にならった服装をしており、女雛は天冠という金の冠をかぶっていて、袖口の刺繍も豪華なものになっている。主に町方で飾られた。
(画像は現在のもの。細かい装飾の冠が印象的。)
⑤享保雛(きょうほうびな)
・江戸時代中期の享保年間(1716~1735)に町方で大流行した人形。特徴的なのは、面長で端正な顔立ちをしており、50cmにも及ぶ大きな人形もある。毛髪は毛植になっていて服装は古今雛とあまり変わらない。
⑥次郎左衛門雛
・京都の人形師・雛屋次郎左衛門が作り始めたとされる人形。18世紀後半には製作されていたようで、丸顔で引目、かぎ鼻やおちょぼ口のおっとりとした顔立ちで、大名家や公家の子女にゆかりのある人形もある。
⑦有職雛(ゆうそくびな)
装束に明るい公家の監修のもと、公家や武家のために作られた特注の雛人形。
公家の服を忠実に再現しており、服の色目や文様、髪型などに特徴がある。
ちなみに有職とは、宮中にまつわる伝統行事にともなう知識のこと。
身近にある伝統行事の雛祭りが、まさか江戸から続いているとは知る由もなくて、驚いた。雛人形の種類の豊富さが、江戸時代に多く発生していることを考えると、庶民が伝統行事を日常に取り込み広く普及した時代といえるのかもしれない。
≪人形の位置≫
今回初めて知ったことの一つで、関西と関東で男雛と女雛の位置が逆であるという豆知識がありました。
実際には、いろいろと説があってどれが正しいかはわからないそうです。
なんで逆バージョンがあるかというと、日本の伝統的な宮中の席次に従えば、
正面から見て右が男雛、左が女雛
という決まりがあって、伝統を重んじて歴史が根深い関西地方では現在でもこの並べ方が主流となっているようです。
対して関東がなぜ逆になったかというと、
明治時代の宮中に、西洋式の儀式が導入された際、男女を占める位置が逆になったようで、現在の皇室の規範によれば逆になるみたいですね。
(言われてみると、確かに現在の天皇・皇后両陛下の位置は逆になってる。)
また、一説によると昭和天皇の即位式の際に、撮影された写真を参考にした人形業界の人々が向きを逆にしたことで関東圏に広まったと言われています。
その他にも、関西地方では五人囃子がいなかったり、関西特有の台所(おくどさん)が飾られたりする違いもあるみたいですね。
何気なく行っていた行事でも、装飾や小物の違いがあると分かって見ると、また視点が異なって見えて発見があるもんだと、鑑賞していて思いました。
細見美術館 ‐春画展‐
春画とは?
春画(しゅんが)とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画。浮世絵の一種でもあり、笑い絵や枕絵、枕草紙[1]、秘画、ワ印とも呼ばれる。また、それほど露骨な描写でない絵は危絵(あぶなえ)とも呼ばれた。
その描写は必ずしも写実的でなく、性器がデフォルメされ大きく描かれることが多い。
(Wikipediaより引用)
春画という存在をいつ知ったのか、僕は分からない。
蛸と女が交わるということで有名な、葛飾北斎の『喜能会之故真通』(きのえのこまつ)を初めてみたのがいつなのか分からないように、耽美なものというのはむしろ、無意識に通り過ぎてしまうものなのかもしれない。
ただ、大河ドラマ「篤姫」か何かで、主人公が夜伽の場面で初めて読むシーンを見ていて、こういう時に使ったのかと関心したのは覚えている。
その時は春画そのものというより、当時の性事情や威厳ある大名たちがこっそりと春画を使っていたという、歴史的事実について興味がひかれた。
それは、父親のエロ本を見つけてしまった時のような、密やかな笑いだと思う。
今回の春画展に行った理由は、春画には笑いが含まれているという文句を目にしたからだ。昔の笑いはどんな感覚なんだろうか、またどんな所に妖艶な肉体を見出していたのか気になった。
細見美術館は、岡崎公園や平安神宮の近くに位置している美術館だ。
ティーカップや蒔絵などの比較的マイナーな展示をしていて、中規模ながら結構面白い展覧会をしている。
春画展の当日券の存在を知らず、チケット料金1,500円を支払い入ってみた。(泣)
正直な話、僕は個人的に春画そのものについて低俗な絵としか思ってなくて、そこに美しさがあるようには感じていなかった。そして、春画に含まれる笑いというのは、日本人らしい恥じらいが前提としてある、隠された笑いなのであって大々的に展示をして、みんなでその可笑しさをケース越しに見るという行為には、批判的な立場だった。
なので、春画展を実際見てみてその偏見が変わるかどうか試したかったというのもどこかにあった。
結論から言うと、鑑賞した後も春画はやっぱり低俗な絵に過ぎないと思った。
なぜそう思うのかというと、単純に同じく観覧していた客が口にした
「これを笑えないとか、春画をみてないなあいつ」
という言葉を聞いたから以外にない。僕は、美術館などに時おり出現する、芸術が分かってますアピールを周囲に押し付ける教養主義者がとても嫌いなので、
「あ、つまんない」
と思ってしまった。
それに加え、館内のスタッフが客を小馬鹿にするような笑みをしていたり、鑑賞を楽しむことのできない環境にいて、とても疲れた。
気に入った作品があったかといえば、あったんだと思う。
それはやっぱり葛飾北斎の異様なまでにセリフが書き込まれたものであったり、
なにげない丸みを帯びた男女の交わりを描いた肉筆画だったかもしれない。
その時は、確かに僕は美術を鑑賞する楽しみに浸っていた。
僕は美術館を出て、日本のエロスはやっぱり難しいと思った。日本の耽美というのは、着物から隠されて初めて現れる悩ましさであって、西欧のように体格の良さを讃えるものとは異にしているんだなと改めて覚えて、奥深い江戸文化を少しだけ覗いて帰った。